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陰について【優しさと激昂の関係性】
こんにちは、広島ストレッチです。
前回は陽【強さ、怠惰】だったので今回は陰の優しさと激昂について考えていきたいと思います。
陰サイドをもう一度おさらいしておくと
陰…右、太陽、女性性、優しさ、厳格性、二元性の愛、激昂、
などなどがあります。
強さの極致が【無】なのに対して、優しさ(愛)は【無限大】です。 愛は無限なので色々な形の愛があります。好きも愛、嫌いも愛、愛してるの愛、憎しみも愛、嫉妬も愛、執着も愛、全てひっくるめて愛です。
陰サイドの優しさ(愛)は色んな形がありすぎて自分自身が混乱してしまうのが欠点です。常に正解を求めて探し続けている感じです、これが正解だ!と思ったのに場面が変われば正解も変わり、結局無限大∞の中に放り込まれて、支えや拠り所をまた探しているといった感じです。
なのでこの優しさが弱ってしまうと、拠り所としての厳格性が現れてきます。簡単にいうと法やルールなどが拠り所となってしまいます。法やルールが悪いわけではなく、万人を想う、その結果としてそこに偏りができてしまい、法に則って怒り、ルールを重んじて憎んでしまうという、渦に巻き込まれるわけです。
なので前回話した、強さだけの自己中な愛のない人には、この厳格性を持って対処します。ここに激昂が含まれます。(もう一つの激昂の見方としては単純に太陽のチャクラの通りが悪いため激昂となるという見方)
自己の強さが見つからず、愛だけの場合は無限の形の愛の中、思考の中で行ったり来たりを繰り返す形になりがちです。
なので陰陽両方見てきましたが、両方必要なのです。強いだけではだめだし、優しいだけでも自分自身をを路頭に迷わせてしまう。両方必要なのですが、実は優先順位があります。強さと優しさどちらを先に持つべきなのか、仏教、道教、聖書、バガヴァッド・ギーターいろんな聖典に書かれていますが、自己を明朗にさせる事(強さ)そしてその上に愛(優しさ)を築くことです。
強くて優しい人が最強ということですね。そんな人になりたいものです。ではまた。
前回は陽【強さ、怠惰】だったので今回は陰の優しさと激昂について考えていきたいと思います。
陰サイドをもう一度おさらいしておくと
陰…右、太陽、女性性、優しさ、厳格性、二元性の愛、激昂、
などなどがあります。
強さの極致が【無】なのに対して、優しさ(愛)は【無限大】です。 愛は無限なので色々な形の愛があります。好きも愛、嫌いも愛、愛してるの愛、憎しみも愛、嫉妬も愛、執着も愛、全てひっくるめて愛です。
陰サイドの優しさ(愛)は色んな形がありすぎて自分自身が混乱してしまうのが欠点です。常に正解を求めて探し続けている感じです、これが正解だ!と思ったのに場面が変われば正解も変わり、結局無限大∞の中に放り込まれて、支えや拠り所をまた探しているといった感じです。
なのでこの優しさが弱ってしまうと、拠り所としての厳格性が現れてきます。簡単にいうと法やルールなどが拠り所となってしまいます。法やルールが悪いわけではなく、万人を想う、その結果としてそこに偏りができてしまい、法に則って怒り、ルールを重んじて憎んでしまうという、渦に巻き込まれるわけです。
なので前回話した、強さだけの自己中な愛のない人には、この厳格性を持って対処します。ここに激昂が含まれます。(もう一つの激昂の見方としては単純に太陽のチャクラの通りが悪いため激昂となるという見方)
自己の強さが見つからず、愛だけの場合は無限の形の愛の中、思考の中で行ったり来たりを繰り返す形になりがちです。
なので陰陽両方見てきましたが、両方必要なのです。強いだけではだめだし、優しいだけでも自分自身をを路頭に迷わせてしまう。両方必要なのですが、実は優先順位があります。強さと優しさどちらを先に持つべきなのか、仏教、道教、聖書、バガヴァッド・ギーターいろんな聖典に書かれていますが、自己を明朗にさせる事(強さ)そしてその上に愛(優しさ)を築くことです。
強くて優しい人が最強ということですね。そんな人になりたいものです。ではまた。